「神戸の本棚」 植村達男著
第九回 大岡昇平の本
最近、大岡昇平の本をいくつか買うようになった。この作家の作品と
初めて出会ったのは昭和30年代の前半のこと。父の本棚から『俘虜記』を
借りたのである。この本のことは、ほとんど何も憶えていない。
文春文庫の『幼年』が出たのは、それから約20年後の昭和50年12月
25日である。私はこの文庫本のカバーに描かれた風間完の絵(大正年間
の渋谷の街を描いたもの。市電と箱型乗用車が仲々よろしい)に惹かれた。
カバーの絵が契機で買った本であったが、この自伝に描かれている渋谷の
町は、私が比較的良く知っている場所でもあり、非常に面白く読んだ。記憶を
一つ一つ呼び起こしていく過程は推理小説的楽しみがあった。文体は簡潔で
あり、ときどき心理学的な叙述がある。私はすっかりこの小さな文庫本(当時の
定価220円)が気にいってしまった。次に『幼年』の続篇ともいえる『少年』
(昭和50年・筑摩書房)を買ったが、これは最初の数ページを読んだだけで
本棚へ直行した。もっとも、5年を経た昨年(昭和55年)6月ごろ、上智大学
精神病理学教授小木貞孝(加賀乙彦の本名)の弟子から『少年』の面白い
箇所を指摘され、その部分の前後だけは読んでみた。
『少年』に続いて、昭和54年2月には新刊草々の『酸素』(新潮文庫)を
読んだ。この作品は昭和30年に新潮社から出版されたものの、その後
長いこと入手困難の書であった。私はその文庫本を、家族旅行で行った
葉山の社員寮へ持参した。深夜2時ごろ起きて冬の海岸に打ちよせる波の
音を聞きながら『酸素』の後半を読んだのが印象深かった。なお、同じ時期に
近づきになった作家小島直記に『酸素』を読んでいる旨を話したら、「あの
小説は実に面白いですよ」という答えが返ってきた。やはり見る人は見ている
ものだなとの感が強かった。この小説は確かに「面白い小説」である。
『酸素』は昭和15年の神戸を舞台としている。第三章の冒頭には、主要な
登場人物の1人瀬川頼子(フランス系酸素会社の営業部長の妻)が住む家の
位置が示されている。「家は神戸の東、阪急西灘の駅から、急な坂を五町
ばかり上がったところにある。……大阪の土建屋が、丁度瀬川のような神戸に
永住する気はない高級社員のために建てた、洋風の借家の一軒であった。
クリーム色の外壁と赤瓦の屋根と水洗便所を持っていた。」……
ここに出てくる阪急西灘駅は、現在の王子公園駅よりやや東にあった駅で
ある。
『酸素』のまん中あたりの第八章には阪急六甲から三宮へ行くバスの描写が
ある。「バスが来た。辻は丁度六甲の駅からこの高さに上り、山際を伝って
布引へ降りるバスの沿線に当っていた。」
『幼年』『酸素』に続き、昨年(昭和55年)夏には『武蔵野夫人』(新潮文庫)を
読んだ。30年前の昭和25年に書かれたとは思えないセンスが良くモダンな
小説である。大岡昇平は京都帝国大学でフランス文学を専攻している。少々
文体が翻訳調なのは気になるが、『酸素』『武蔵野夫人』には小説の小道具
としてフランス人、フランス語、フランス文学がうまくとり入れられている。
そして、ごく最近、中公文庫の『わが文学生活』(中公文庫)を買って、
その日のうちに読了した。この本は質疑応答の形式で大岡昇平が、自己と
その文学について語っている。この本によると『酸素』の第2部にとりかかる
計画もあるという。この計画が活字となって我々の前にあらわれるのは、
いつのことであろうか。
東京で少年時代を送り、後に関西での生活体験を持つというところで、
大岡昇平と私とは共通点を持つ。大岡昇平は関西人の見た東京人を次の
ような形で『酸素』の中で表現している。しゃべっているのは夙川に住む30歳
近い女流画家、藤井雅子である。
「ほんまに東京の人て嫌いやわ。神戸に住んでる東京の人、特に好かんわ、
もっともらし東京弁で理屈ばかりいうて、実行力ちっともあらへん」
(次回は「陳舜臣の文庫本・新書」を予定しています)
この原稿は、(株)勁草書房が出版した「神戸の本棚」(1986年10月5日第1版)に発表されたものを
再掲示させて頂いたものです。
植村達男PROFILE
1941年鎌倉市生まれ。1964年神戸大学経済学部卒業、 |